茶禅一味を考える

茶も禅も行き着くところは同じ境界である。アメリカで味わう海の塩味も、日本の海の塩味も味は一つである。
このような意味合いが『一味』である。しかし、現在のアメリカの塩味も日本の塩味も元の味となぜか違ってしまったのではないか。
そのような気がします。
禅は難しい。修行方法とすればこれほどに簡単な物はない。ただ座れ、と言うのですから。けれどもこれが難しい。
なかなか大悟するなどということは難しいわけです。それに『不立文字』と言う禅語があります。禅の理屈は文字で表すことは出来ない。
どこまでも修行を通じ悟っていかなくてはならない。このように禅は修行者に禅の鉄則を説いています。
にもかかわらず、書店の仏教書に一番多く見掛けるのが禅宗の本です。それでも、まぁそれで良いのかもしれませんがそれほどに
禅は難しいということなのでしょう。
「道具茶」、「お座敷茶」という言葉があります。こうならないようにと皮肉を込めて自らを戒めたものです。
茶は禅と同じ境地にあるべきもの。それが茶道具を集め見せびらかすなどあってはならぬことである。
ましてや、座敷にきらびやかな格好をして着る物を競うが如きは言語道断である。と言うのが茶道のもともとの教えです。
ですが、現代の茶道はいかがなものでしょうか。まさに「道具茶」であり「お座敷茶」であるかのようです。
『茶禅一味』即ち禅と一味の茶道が『禅茶道』である訳ですが、それは言い換えれば『わび』『さび』の茶道です。
虚飾を排した簡素な茶が『禅茶道』の茶風でもあります。
一般に『お茶』と言いますと、抹茶を作法よろしく(本当は、かちかちに固くなって)お茶菓子をおいしく頂く事のようですが、
『禅茶道』においては、お茶を喫する事をしなくても『茶道』です。袱紗を捌くだけでも茶道、礼をするだけでも茶道、
柄杓捌きだけでも茶道、茶掛けの禅語を考えるだけでも茶道。勿論、茶を点てる練習(稽古)をするのも茶道です。
そこで、是非『禅茶道』の稽古をあなたと行いたいと思うのですがいかがでしょうか?茶道の目的とするところは『生命の躍動』です。
茶道には色々なシチュエーションがセッティングされていますので容易に禅の異次元空間に入る事ができます。
そうして是非生命の躍動感を得て欲しいと願うところです。
 
特定非営利活動法人 壺月遠州流禅茶道宗家.
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