当代・如栴

May 17, 2017

私は、

1973年(昭和48年)に先代中村名聞(如光)の長男として

横浜で生れました。

 

3歳の頃より先々代の宗家、

青柳貫孝先生より茶道の基礎としての礼法を教えていただいたり、

先代のお点前や刀を振るう姿などに触れるを機会にも恵まれ、

見るのも稽古のうちなので、

知らず知らずのうちに幼少の頃から「門前の小僧」として様々な稽古をさせていただきました。

そのように茶道に於いては特に身近に感じられる環境で育ちました。

 

しかし先代の父は、

厳格ではありましたが無理に子供のうちから茶道をさせようとはしませんでした。

その代わり父からは、

茶道を通じて育むべき人としての在り方などについて御教えを頂きましたので、

今思えば「直弟子」のようであったと思います。

その後機が熟し、

自ら志願する形で正式に入門させて頂き、

特に父の亡くなる前十年間は腰をすえてじっくりとご教授いただきました。

 

19歳の夏、

辛い受験勉強からくる過度のストレスにより免疫力が低下したのが原因で、

脳にウィルスが入り、

一時は生死を彷徨い下半身不随にもなってしまいました。

さすがの父も後遺症が残る可能性もあると聞かされたときには、

心を痛め覚悟を決めたそうです。

一ヶ月の集中治療の後退院できましたが数ヶ月の自宅療養とリハビリが続きました。

ようやく健康な体を取り戻し、

後遺症もなく何とか東洋大学の印度哲学科に入学できました。

仏教を学び始めたということが影響したのかもしれませんが、

五体満足な身体でいられるのは、

何か自分にはやるべきことがあるから生かされているのだと思うようになったのです。

大病を患ったことがきっかけで、

生まれて始めて自身の

 

「死」と「生」

 

を意識しました。

この体験が、今の私の全ての原点になっていると思います。

 

大学での勉強も本気で取り組めるようになりました。

その頃よりあらためて茶道の稽古に専念するようになりました。

壺月遠州流の緩急自在なお点前、

お能のような摺り足やストイックに無駄な動作を削ぎ落とした所作や体裁きの美しさに魅了され、

生涯を通じて茶道の道を歩むことに心を決めたのもこの時期でした。

またそれと平行して父より居合道や躰術の稽古もつけてもらい日本刀の基礎的な操法を修得いたしました。

 

他のことに関しては不器用な私でしたが、

不思議と茶道に関しては技や藝を習得するのは早かったようで、

父曰く才能があるということでした。

当流の茶道は自分の感覚にフィットするものがあり、

特に病を得て以降は、

有限の生命のはかなさのようなものを感じるようになり却って

「この道で生きていこう!」

「この流派を伝承するために生かされているのだ。」

と肚が決まるようになったのです。

 

その想いを抱き始めた矢先のことでした。

先代宗家 如光師が2005年11月21日に還暦を前にして遷化してしまいました。

父が亡くなる直前に私を宗家に指名され、

 

道号「如栴」

 

を拝命いたしました。

 

私が宗家四世となり早くも12年になりました。

当流茶道の良さをより多くの人達に伝えたい、

普及したいという思いで日々精進をしております。

 

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